手伝う勇気、手を貸さない勇気

1999年7月13日

Aさんと出会ってから3年が経とうとしています。はじめてAさんと話しをして、車椅子を押した時のことを思い返すとなんというか、戸惑と新しい体験の連続でした。
しかし初めのころは言葉に出来ないまま質問が頭の中を掛けめぐり1つ1つ言葉を選びながら話している自分が居ました。しばらくして「Aさんの障害者の事を知ってもらいたい」という強い意思を確認できた後はこのWEBにあるように質問の嵐、体験の連続でした。
そして日を追う毎に車椅子の扱い方になれ、町中のバリアのかわし方を覚え、野山に連れていく楽しみを覚えました。Aさんに付いて地元の福祉関係のイベントでボランティアをしてみたりと、今までの自分からは想像も出来なかった事です。そしていつの日からか、自分の目の前にAさんが座った車椅子が無いことに違和感まで感じるようになっていました。

しかし、いつのまにかしてあげる事が当たり前になってしまったのです。

こうしてみると、私は過剰なまでに手を出していたのではないかと思えます。
最近、本当にAさんの意思反していないのだろうか?と思い悩むことがあります。
一緒に買いものをしている時に私が車椅子を押していたのではゆっくり見ることが出来ないだろうと、そっと車椅子から手を離し、「御自分でどうぞ」の一声を掛けられるようになったのは最近のことです。それでも陳列棚の上で品物が見ることが出来なければ、頼まれなくても脇に立って手にとってあげたりします。そしてそのまま車椅子を押してしまっています。

これはいつの間にか2人の間にパターンが出来た為だろう。この話しは別の機会に譲るとして、Aさんは車椅子に乗っているからといって私と比べて大きく劣っているようには思えないのです。

車の運転はできる。7月10、11日のばんえつ自動車道の運転は、ど うして堂々としたものであった。
会社での仕事もWindows95の上でWORDやPhotoshop,スキャナーを使いこなせるようになり、本人も自信が付いてきたことだろう。町中で行なわれた御輿まつりでは、人混みの中を車椅子を巧みに操り雑踏を軽やかに走り抜けた。

やれば何でも出来るのである。すくなくとも私はそうみている。

かといって、どうしても出来ない事もある。

  • 車椅子での段差越え
  • 高いところや下の物をとる。
  • 重い物を運ぶ。
  • 走る それはしかたない事であって、出来なければその部分だけそっと気が付かない程度に手を貸すのが理想なのではないだろうか?私はまだJTさんが家の中でどのような生活をしているのか良く知らない。それをまとめるのはプライバーシの奥底深く立ち入ることになりここで公開することが出来ないかも知れない。

    しかし

    Aさんの母親が

    娘に「町中でお願いします」と自分から声を掛けさせてみてください。
    上野さんは見ているだけにして、手出しはしないで娘みずから声をかけさせて下さい。

    といわれた言葉は今でも忘れることが出来ません。

    何かをしてあげる。はじめてAさんに出会った時には、とても難しく勇気が必要に思えたことが、いまは当たり前になってしまいました。現在は手を貸さない勇気が問われているのかもしれません。

     
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